「幽玄の世界にようこそ」
どんな世界かしら。そう思って能楽堂に・・・
「奥深い味わい」「余剰」「奥深く計り知ることができない」「優雅」「上品で優しい」・・・・知っている言葉を並べても置き換えることができない世界に、講師の坂井音隆先生並びに音晴、高梨万里先生は私たちを誘ってくださいました。
何しろ声がいい。 凜とした佇まいからいい緊張が伝わってくる。 そぎ落とされた具体は想像力を生む。 明確な主張に心からの共感を覚える。 これらは、究極の美と言えるのではないでしょうか。
日本人の日本知らずと言われますが、知ることに適齢期はありません。この幽玄の世界に足を踏み入れた時がチャンス。現代のドラマや映画と同じように、人間の姿を描いているこの能というスタイルに、肩を張らずに親しもうとと思いました。
これも本物に出会えたからこそだと思います。
『墨田川』の子を思う母の一念は、古今東西共通の普遍の価値ですね。
『羽衣』の「あーずまあそびのかーずーかーずーにーーー」、今も口ずさんでいます。 ・・・ 参加者より
「隅田川」のあらすじ・・・
春の夕暮れ時、武蔵の国隅田川の渡し場で、舟頭が最終の舟を出そうとしていると旅人が現れ、女物狂がやってくると告げました。女は都北白河に住んでいましたが、わが子が人買いにさらわれたために心が狂乱し、息子をさがしにはるばるこの地まで来たのでした。
舟頭が、狂女に、舟に乗りたければ面白く狂って見せろ、と言うので、女は『伊勢物語』九段の「都鳥(みやこどり)」の古歌を引き、自分と在原業平(ありわらのなりひら)とを巧みに引き比べて、船頭ほか周囲を感心させ、舟に乗り込むことができました。
川を渡しながら、舟頭は一年前の今日、三月十五日に対岸下総(しもうさ)の川岸で亡くなった子ども、梅若丸の話を物語り、皆も一周忌の供養に加わってくれと頼みます。舟が対岸に着き、みな下船しても、狂女は降りようとせず泣いています。船頭が訳を尋ねると、先ほどの話の子は、わが子だというのです。舟頭は狂女に同情し、手助けして梅若丸の塚に案内し、大念仏で一緒に弔うよう勧めます。
夜の大念仏で、狂女が母として、鉦鼓(しょうこ)を鳴らし、念仏を唱え弔っていると、塚の内から梅若丸の亡霊が現れます。